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オーナーのプロフィール

平成17年11月、生まれ育った地元沼津にボルボ専門店「株式会社アウトリーベン」を設立

少年時代

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幼少時代はスーパーカーブーム。
何処に行くにもスーパーカー図鑑を放さない生粋の自動車マニアでした。

高校時代から専門学校に進学決定

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小、中、高校と地元沼津で学び生まれも育ちも生粋の沼津っ子。
進むべき道は、やはり自動車が好きなので2級整備士の資格を目指し自動車整備の専門学校に決定!

高校3年生の時は、人生で最大に勉強した時でもあります。何せ、募集人数僅か20人で倍率は5倍。これはやはり勉強しなくては合格できません。今も昔も変わりませんが、頭はそんなに良くないので人の何倍も努力して人並み程度。受かるために猛勉強しました。努力の成果なのか、運が強いのか、無事合格で自動車業界に入る準備が整いました。

自動車整備士専門学校時代

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学生時代は、愛車カローラFX(AE82)を教材としてKTCの工具をラゲッジルームに完備して夜な夜なテストドライブと称して箱根へ。
そんな楽しい学生生活を2年間送りながら、無事に2級ガソジン、2級ディーゼル整備士資格に合格しました。
学校の先生の予測ではたぶん落ちるだろうと言われていたのですが、またもや運が良かったのか両方受かってしまいました。

トヨタ修行時代

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某トヨタ系ディーラーに営業職として入社した20歳。実は私の頭の中にショールーム居るとお客様が来て車を買ってくれると思っていました。
しかし現実は甘くなく、毎日のようにゼンリン地図を片手に、歩いて100件訪問。訪問したお宅をマーカーペンでチェックしていく毎日でした。

訪問先には名刺を置いてきているので、半年後に何件か問い合わせがありました。こうしてCR(Customer Retention)活動(※)での自動車販売も何台か成功しました。

こんな生活が5年近く過ぎた頃、同じ苦労するなら本当に好きな輸入車の世界へ言う気持ちが芽生えて輸入車業界に転職を決意しました。

※CR(Customer Retention)活動
個別複合的メンテナンスアドバイスの実施、生活スタイルにマッチした自動車保険の提案、車の機能・装備とその価値効果についての説明などのこと

ボルボカーズ修行時代

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カタログや会社案内を見ながら、様々な輸入車メーカーを検討しました(お客様が自動車を選ぶと同じように)。
メルセデス、BMW、VW、アウディ、ボルボなど私なり研究した結果、メーカーの車造りのコンセプトや人に対する優しさなどからボルボに決定しました。

また運よく地元ボルボディーラーが営業職を募集していたので応募してみると運よく内定を頂きボルボの修行時代のスタートです。

97年10月入社、ちょうどイヤーモデルが切り替わる時で98モデルの発売開始で940の販売が最後の年でしたね。

この24歳の秋に、私の『ボルボのある生活』がスタートしました。
社用車で初めての『ボルボのある生活』は90モデル740GLリミテッド セダンライトブルーです。ボルボ240で見かける薄いブルーメタリックで四角いボルボとの出会いでもあります。

入社後は、研修期間ということで新車ショールーム研修でカタログを読んで勉強したり、取扱説明書を読んだり、先輩に同行してお客様への言葉使いやマナーなど輸入車の営業を勉強した日々でした。配属されて2週間ほどで、またもや運がいいのか新車のボルボ2台ご成約をいただいてしまいました。

ボルボカーズジャパン認定中古車セールスへ

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会社側は今後も新車セールスということでしたが、私は資格や経験を発揮できる中古車のセールスを希望しました。
ここで認定中古車セールス眞野菜月の誕生です。1998年1月です。

当時のボルボは、輸入車の中では早く認定中古車制度確立し、輸入中古車の中では安心してお客様が購入できるシステムが確立していました。販売する立場からすると販売しやすく、お客様も安心して購入していただいていました。

配属された店では、営業販売はもちろん、開店準備や閉店後の片付け、トイレ掃除、洗車も一人できりもりする毎日の修行です。
また、当時は加修費(板金代、修理代など)が掛かることにがビックリして、どうしたら認定中古車の品質を落とさずにできるだろうかと創意工夫の毎日でした。

150万円で販売するボルボなのに、加修費がバンパー板金5万円、ドア板金5万円とその他エンジン整備代などで◎◎◎万円になってしまい、完全赤字になって会社で怒られたこともありましたね。

なんとかしなければ!それには、加修費が掛からない、程度の良くしっかり整備されたボルボを仕入れて販売すれば、お客様も良い、会社も私も良いとみんなが良いのが一番で、これからオークション仕入れが始ります。

良いボルボを安心して販売するためにオークション仕入れの開始

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ボルボディーラー時代は、下取り車中心の販売で、思うようにお客様の要望のボルボが販売できなかった時代でした。
認定中古車ということで、お客様も外装、内装、機関と新車のように思ってご来場していただくので、販売する側もしっかり整備して販売する姿勢で販売していました。

当時年間直販(お客様に直接販売すること)で◎◎台(100台に近い台数)、業販(業者さんに卸売り販売)で◎◎◎台を一人で販売していましたね。直販、業販で多い年は200台くらいボルボのみで扱うこともあり、これ以上自分で仕事を増やすことは大変でしたが、修行だと思い、会社にお願いしてオークション会員になりました。

お客様のために、より良いボルボで加修費が掛からないボルボの販売をするために、オークション会場に行き、自分自身の目で確かめて仕入れをします。
ボルボ査定の匠 眞野菜月の始まりです。

多くのお客様に支えられて7年半でで500台近くボルボ車を販売させていただきました。
お蔭様で一度だけボルボの故郷スウェーデンも行かせていただき、ボルボと共に過ごす人生が続いています。

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